【番吾の戦い】キングダムと史実の違いは?邯鄲・咸陽の場所(地図)は現在のどこ?
春秋戦国時代をドラマティックに描いた大人気漫画といえばキングダムでしょう!
キングダムは、秦の始皇帝が誕生するまでの物語を主人公である信の目線で描き、激動の戦国時代を楽しく知ることができる作品です。
キングダム面白いよね!歴史の勉強にもなって楽しい!
その中でも、番吾の戦いは、多くの方が知っている戦いで、春秋戦国時代を語る上では外せない戦いと言えるでしょう!
また、番吾の戦いで戦った秦と趙の都市である邯鄲と咸陽の場所・現在の地図のどのあたりに存在したのかも気になるところですよね。
番吾の戦いはキングダムと史実で違いはある?
邯鄲と咸陽の場所は、現在の地図でどこに存在したのか解説していきます!
Contents
【番吾の戦い】キングダムと史実の違いは?
キングダムは、春秋戦国時代を描いた壮大な歴史スペクタクル作品です!
秦は史実で、中華統一をわずか9年で果たした後、秦の始皇帝が誕生し、歴史に名を刻むことになりました。
この作品は、それまでの歴史を主人公である信の目線から、ドラマティックに描いていることで人気ですよね♪
そんなキングダムでは物語を盛り上げるために、史実と異なる設定がされている場合があります。
歴史を壊さない絶妙な構成が素晴らしいよね♪
果たして番吾の戦いは、キングダムと史実でどのような違いがあるのでしょうか?
まずは、番吾の戦いについて見てきましょう!
史実では番吾の戦いで秦が大敗する!
春秋戦国時代を語るなら、重要になるのが番吾の戦い。
なぜなら、わずか9年で中華統一を果たした秦が大敗した戦いであり、領土まで奪い返されるという結末でした。
この頃、趙で指揮を取っていた李牧は、肥下の戦いで桓騎を倒し、番吾の戦いで秦から領土を奪ったことで、後世に名を残す名将となっています。
秦に連勝してるんだよね!李牧凄すぎて最強じゃん!
秦が大敗することは、9年の歴史でも少なく、秦に勝った武将はほとんどいないため、相当な実力者だったことがわかりますよね!
そんな稀代の名将である李牧が大活躍する番吾の戦いは、現在のキングダムで、実はまだ描かれていません!
しかし、キングダムでは今後描かれる番吾の戦いと、史実では違いがあるはずなのです。
次は、その違いについてを考察していきましょう。
キングダムと史実との違いは登場人物!
番吾の戦い。また李牧との戦いか。これは盛り上がりそうやな pic.twitter.com/u3okcCB3m5
— つっき@管理 (@piyeo1548) August 22, 2023
現在、キングダムでまだ描かれていない番吾の戦いですが、確実に違うことがあります。
それは、戦いの登場人物です!
というのも、番吾の戦いは、李牧が秦から領土を奪った以外、史実では明記されていません。
番吾の戦い自体は歴史的な出来事なのですが、歴史を記すのは勝者が行うことなので、敗北の歴史を深く残さなかった可能性が高いと思われます。
確かに負け戦いを後世に残したくないよね…
そのため、キングダムではほとんどの登場人物が、歴史の流れから想像して配置されるはずですよね!
さらに、キングダムオリジナルキャラクターも多くいることから、本来の歴史にはない激しい戦いを描くことになるかもしれません。
そうすれば、李牧の存在感がより大きくなり、史実で後に李牧が処刑される展開が、よりドラマティックに描けることでしょう。
一体、キングダムでは、どのように番吾の戦いを描いてくれるのか、李牧の大活躍が楽しみですね♪
邯鄲や咸陽の場所(地図)は現在のどこ?
キングダム読んでて気になったのが古代中国の地図。時代的に三国志の前の春秋戦国時代。秦は、韓・趙・魏・楚・燕・斉を滅亡させて統一するのか。史実通りか分からないけど。 pic.twitter.com/XDfEqtFBBl
— ひろ@ほぼ実況🏀 (@antares_16) August 2, 2017
キングダムは、紀元前230年から221年に、秦が中華統一を果たす歴史を元に作られている大人気漫画です。
その中で、番吾の戦いを繰り広げた秦と趙ですが、この国は現在のどこにあったのでしょうか?
おーそれ気になるー!どこにキングダムのみんながいたのか知りたいよ♪
次は、秦と趙が現在のどこなのか、実際の地図でも紹介していきたいと思います!
邯鄲と咸陽は現在も同名の市として存在している!
咸陽から鄴まで徒歩でこれくらい掛かるのか pic.twitter.com/yimNOwHuPn
— 唯名🌸🌷 (@yosooi01) June 11, 2020
キングダムは、今から2000年以上前の戦争をテーマに作られています。
日本人からすると、紀元前にキングダムのような戦いが行われていたというのは、驚きですよね!
そんな、過去の歴史で登場する秦の都「咸陽」と、趙の都「邯鄲」は、なんと現在でも同名の市として存在しています。
2000年以上前の都が、今でもあると思うとロマンがありますよね♪
今でも残ってるんだ!すごいなぁ行ってみたーい!
まず、秦の都。
この現在の咸陽市は、紡績・電子工業が主要産業で、農業も盛んな都市のようです。
咸陽市には、咸陽博物館があり、まさしくキングダムの時代である秦王朝の展示品があります!
一部のファンは、キングダムの聖地として巡礼する人もいるらしいですよ♪
そして、趙の都があった現在の邯鄲市は、石炭や鉄鋼業など工業都市として、交通の便が良いこともあり、現在も発展を続けています!
邯鄲市にも、キングダムゆかりの地が多く存在し、趙王城跡などキングダムの歴史を感じられるスポットを楽しめるようです。
キングダムが好きな人は、聖地巡礼に足を運んでみてはいかがでしょうか!
実際の場所を地図で紹介!
キングダムの最新地図が分かりやすい。#キングダム pic.twitter.com/syLUq5Wh2K
— 中年ペンギン (@8_8labo) June 4, 2020
秦と趙の都は、現在も同名の市が存在しており、歴史的遺産が多く残っていることを前述しました。
では、秦の都。
これがあった「咸陽」と、趙の都があった「邯鄲」を実際に地図で見てみましょう!
まずは、「咸陽」がこちらです。
咸陽市は、キングダムの戦国七雄で、最も西に位置しており、四つの国と隣接していました。
前に進むことで、勢力を拡大できますが、一極集中で攻めていると、他国に侵略される恐れがある難しい場所だったことがわかります!
次は「邯鄲」がこちらです!
邯鄲市は、戦国七雄で、北に位置しており、四つの国に囲まれるように隣接していました。
前を攻めれば、後ろから攻められる可能性があり、侵攻には相当な策略が必要だったことでしょう!
史実では李牧が処刑されて趙は一気に衰退するんだよね…李牧って本当にすごいな…
趙の勝利を支えた「李牧」が、どれだけすごい名将だったのか、実際の地図を見るとさらに実感できますね♪
まとめ
今回は、番吾の戦いにキングダムと史実で違いがるのか考察し、邯鄲と咸陽の場所は現在のどこなのか、実際に地図で見ていきました!
番吾の戦いは、秦が大敗する歴史上でも珍しい戦いです。
そんな、番吾の戦いは、まだキングダムで始まっていませんでした!
しかし、史実の情報が李牧のこと以外、ほとんどないため、登場人物がオリジナルとなり、結末以外のストーリーは想像で描かれ、史実との違いが起こると考察しましたよね。
また、咸陽と、趙の都があった邯鄲は、現在も同名の市として存在していました!
そして、現在の場所を実際に地図で見ることで、よりキングダムの歴史を実感できたのではないでしょうか。
今から、2000年以上前の歴史が、今も残っているというのは感慨深いものがありましたよね。
今後、キングダムのアニメは第5シリーズに突入します!
番吾の戦いで秦を下す李牧や、李牧に敗れることにある桓騎など、重要人物がメインとなってきますので、第5シリーズも楽しみにしておきましょう♪